諸事情多々あり、Wordを小2,3の時使ってました。
だんだん、Excelに変わり、関数なんかも使えるようになって、すこしExcel VBAをやったのが小5ぐらいでしたでしょうか
ところが、まだまだ僕にExcel VBAは早くて、C でDXライブラリを使用しようとしたのですが、まだまだ僕には早く、HSPへ行きました。
そのあと、Javaでオブジェクト指向を学んで、Flashのきれいな演出ができるプログラムに魅せられ、しばらくFlashなんかも組みました。
その途中では、PHP何かもやりましたね。Perlはなぜか構文エラーが多発して、挫折してしまいましたが、今ではDBアクセスぐらいの単調なプログラムはPHPで全部済ませますね、サーバーサイドでやるのならばですが。
しばらくは、Flashに熱中しました。Flash Developをほとんど使って、コードベースのFlashを作ったりして。
リファレンスもJavaより全然見やすかったので、よりプログラムでいろんなことをやって、おもしろいなーとか、思ってました。
途中途中C#もやる事がありましたね。
アルゴリズム問題にも取り組む楽しさを学びました。
そんな中でしょうか、Flashと言うものは、Webページ上で動くものであり、AIRに興味がわきました。
AIRをやって、オンラインゲームを作ろうとしたのが例のごとくちょっと前の話です。
ですが、C#をやるうえで、感じたのは、やはりC系統のほうが周りの人口が多いし、リファレンスから1ッ歩踏み入った事をやるのに、非常に参考になるものが多いことでした。
MSDNの読みにくさは、いまだに感じますが、それでもやはり僕は、今後は言語をあまり変えずにC++に専念しようとしました。
MFCとの出会いもありましたしね。
最初は、プロジェクトを何回作り直したことか。
20数回プロジェクトを作り直したりしながら、やっと安定。
自分が何を実行するためにこの部分を書いて、どこに書かなければいけないのか、それをしっかり考えてやるようになったと思います。
クラス構造も、今までテキトーだったアクセスモディファイアですが、これについても、便利さというものを知りましたね。
DirectXやOpenMPとの出会いも俺を変えましたね。
DirectXは、やっぱりほとんどがC++でやってる。C#ならXNAが圧倒的に多い。
DirectXはまだまだ勉強途中だけど、やっぱり、GUI作るときより、3Dオブジェクト表示されたときのほうが喜びはヤヴァイ。
OpenMPのforの高速化は、実際に時間は計らなかったけど、すごいなと感じた。
C++・・・やはり主流だけある。
俺が、かつてDXライブラリを捨てたとき、それは関数の中のreturnと言うものがどんな役割を果たすのかさえわからなかったときの話だ。
そういえば、中1のころ、クラスにK・T君がいた。彼は、僕以上にプログラムができるようだった。
彼はC++でDirectXを組むことが好きだったようだ。図書室で、1冊しかないDirectXの本をいつも占有していたんだっけか。
もともと、そのころまではハードウェアの興味が大きかった。
ロボット作りたいなとか、ラジコンを動かすのが楽しかった。小3のころ、プラレールを魔改造したっけか。
ラジコン飛行機をあるとき作ろうと思った。プロポや、サーボは高い。
PICマイコンとDCモーターを積んで、発泡スチロール系の素材なら飛ぶんじゃないか。
そんなことをK・Tに話した。
彼はマイコンプログラムについても知っていると言って、俺にウンチクを聞かせまくった。
そんな時だっけか。
俺は気づいた。
K・Tの知ったかぶりに気づいた。
K・Tはすごいな、俺もプログラムで、何か作ってみたいな。そう思ってた。
だから、プログラム系の本、何度も読んだ。お金がなければ、本屋で毎日のごとく立ち読みをした。
周りから見たら変人だろうな。
社会人や、資格を取りたい大学生などが見るコーナーの端っこにいつも中学生がいて。
K・Tはいつしか、PSPの改造や、トレントにはまった。
さらにK・Tは、エ○ゲーや、そういう本を集め始めた。
まだ、これでも、俺はK・TのC++の技術だけは信じていた。
だが、ある時気づいた。
彼は知ったかぶりで、図書室のPCのレジストリをいじって破損させた。
バックアップを取ることもなく。
まさに、その時俺から見たら無謀そのもの。
その時に思った。
こいつは実は全く何も知らないんじゃないか。
そこで聞いてみた。
答えは10分でわかった。
【こいつ、ダメだ】
そんな中、K・Tは、学校中でPC関連を自慢しまくり、周りからはPC関連では学校1だと思われていた。
だが、そんなときだ。
レジストリを破損させた時、俺はK・Tのそばにいた。
図書室の先生は、K・Tの技術を信じていたのか、俺を疑った。
管理者権限が必要なレジストリ操作も、俺が図書委員だったことで、成立する。
実際にはK・TがOphCrackを使用しただけだ。
しかし、弁解むなしく。
どーせお前なんだろって感じで
【わかった、今回は大目に見る】と言われた。
何なんだ。
だから違うって言ってるだろう。
とりあえず、その一件は終わった。
だが、そのあとからだっけか、知ったかぶりがばれたから?なのかは僕にはわからんが、僕をK・Tが避けはじめた。
別に、例の一件で、彼を責めたてようなんて気持ちはなかったが、何も知らない人たちへの知ったかぶり行為は、僕をイラつかせた。
そんな中だ、もう一回K・Tと協力しなければいけなかったことができた。
同好会の設置である。
僕、K・T共有して知っている後輩に話を付けられた。
ハードウェアが多少なりともわかる僕と、ソフトウェアが多少なりともわかるK・T
二人を入れて、ロボットを作る部活だった。
まず、PCを作った。
顧問の好意で10万程度の高スペックPCができたのだ。
(先生、懐あったかいっす)
その時K・Tから話があった。
【俺のメンツのために、頼む。わからないとこだけはお前が組んでくれ。】
普通ならハァ?だろうが
その時は何を考えていたのか、承諾した。
俺は、ロボットの完成のために、回路図をひたすら書いた。
プログラムについても、電波のパルスのフォーマットなどを、K・Tに伝えた。
だが、人の話は聞かない。すぐにできるという。
その行為はだんだんと俺をイラつかせた。
だが、さらにそれを我慢の限界となることがあった。
先生の好意で作ったPCを、PSPのISO庫にしたり、 エoゲーを入れた上に、職員室の無線ランのWEPをクラックして、P2Pさえやっていたことがわかった。
ひたすら、俺はロボットの回路図を組んでいたのになんという冒涜であろうか。
その時思った。
俺は、回路図をもって、やめることにした。
だが、問題は顧問だった。
K・Tは、【回路図を持ち逃げした。めんどくさくなったんじゃないか】などと言ったらしい。
顧問から話を聞いたのはのちの話だ。
しかも、その後の話では、内部の親友から聞いたのだが、【あいつは、回路図だけ書いて、作ってくれればそれでいい。文化祭で展示できれば、部活として認められるために、予算が下りる。】
そのようなことを言っていたらしい。
何という事か、ただの道具としてか思っていないのか。
その年の終わり、K・Tは成績不振で学校をやめた。
今では、どこかの工業高校にいるらしい。
気づいたときには、俺は、K・Tより全然C++を扱ったことがある。
もっとも、俺はもっとあたりまえなことに気付くべきだった。
彼がプログラムを組めるはずがないのだ。
というかその環境すら用意するのが難しいと言ったところか。
家で自分が自由に使えるPCが98だという。(去年)
7発売されるというときに98だったとは。
VSだって動かないだろうに。
だが、今では、その黒歴史は、俺の技術を向上させたと思っている。
決して悪いことじゃない。
だが、俺は思った。
結果を見せなければ意味がない。
言葉では、人はいづれ嘘をつく。
その時からだ。
物を作ろう。そう思ったのは・・・
[4回]
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